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大学テニス部で“影の監督”

先ほど話したように、私が名古屋の愛知学院大学に入学する前年、父は名古屋市で新たに歯科クリニックを開業し、家族ともども移転していました。そのため、大学へは家から通うことになりました。父と長兄が現役の歯科医で、次兄も歯科医学生、歯科の勉強にとってこれほど恵まれた環境はありません。実際、大いに役立ったのですが、勉強を別にして大学時代の私が熱中したのがテニスでした。話が脇道にそれるようですが、大学テニス部時代には私自身にとっても、意外な能力が発揮されることになりました。それを少しお話しましょう。

 

中学時代にテニスをやっていことは前述しましたが、もともと私は小柄で運動神経もたいしたことありません。それに高校時代はテニスと離れていましたので、大学に入ってすぐテニス部に入部したものの、とてもレギュラ−にはなれませんでした。しかし、とにかくテニスが好きで、自分の大学のテニス部を強くさせることに対しては、人一倍の情熱を傾けたものです。

 

当時、東海地方の大学テニス界は、現在のサッカ−のようにリ−グ制になっており、これが1部から5部まであったのです。そして、わが愛知学院大学は私が入学したときには、一番下の第5部にランクされていました。つまり、非常に弱いチ−ムだったのですが、私の1学年上に他の大学から入り直してきた先輩がいました。この人が活躍したおかげで、私の1年時に5部リ−グで優勝、翌年から4部へ昇格しました。
こうなると、さらに上をめざしたくなるものです。そこから私の“策士”ぶりが発揮されるようになりました。

 

どうするかというと、まず徹底的な情報収集と分析です。リ−グ内で総当り戦を行ない、最上位になると、上のリ−グの最下位校との入れ替え戦があります。リ−グ戦が始まる前に、いろんな大会の個人戦がありますが、そこで私は各チ−ムを偵察し、個々の選手の特徴や弱点を克明に分析し、それをメモにしました。

 

プロ野球・野村監督の「ID野球」、それを支えた野村メモは有名ですが、レベルはともかく私も同じようなことをやっていたわけです。

 

そしてリ−グ戦が始まると、私の分析をもとに、こちらのチ−ム編成を組み立てるのです。たとえば「A大学のB選手はネット際に弱いから、うちのC選手をあてよう」という具合に、試合ごとにメンバ−を入れ替えました。これが功を奏し、リ−グ戦は連戦連勝。優勝して上位リ−グ最下位校との入れ替え戦に対しても、もちろん情報収集・分析・メンバ−編成を徹底してやったものです。

 

こうして最下位リ−グだったっわが校は、私が5年生のときには、2部リ−グまで昇格しました。「統制部長」と呼ばれていた私の情報収集・分析・編成はチ−ム内で信頼され、いわば“影の監督”のような存在でした。選手としての私の戦績は、個人戦でそこそこまで進んだことがありますが、まあ、いわぬがハナでしょう。

 

こうして私の学生時代は、授業以外はテニスに明け暮れたものでした。“影の監督”的役割は自然に生まれたものでしたが、自分のそういう資質は、自身にとっても貴重な発見でした。なにごとであれ、まず情報を徹底的に収集し、それを克明に分析して対応策を考える。のちの矯正歯科医としての私の原型がそこにあったようにも思えます。

 

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